塩分控えめ

社会人を受け入れる大学に入って 4年間勉強。家事、子育てとの両立はとても大変だったという。卒業と同時に管理栄養士に合格したが、それから 2年間は専業主婦に徹した。学生時代、子供に寂しい思いをさせた分、ここで取り返したのである。その後老人福祉センターで 2年勤務ののち、半年のインターバルを置いてさくら苑にやってきた。取材日がちょうど 2か月目。今はまだ毎日が必死だが、家族には生き生きしていると言われる。 献立作成では、なるべくたくさんの食材を使い、食べやすくて飽きがこないよう工夫しているという。食材の発注などで失敗した日は落ち込みもするが、「お弁当がきれいでおいしかった」と手紙をもらった時は最高に嬉しかった。 「私はこの年になって、自分の求めていたものを見つけることができました。でもね、若い人が福祉をめざすなら、どんどんボランティアに出てお年寄りと接してほしい。おかゆのように柔らかなものでも飲み込めない人がいるなんて、若いときにはなかなか理解できないでしょうから」。  町の食堂からホテルのレストラン、学校の給食や会社の食堂:::調理師の守備範囲は非常に広く、料理の内容もさまざまだ。食べるということは生きるうえでいちばん大きな楽しみであり、命を支える基本でもある。だが医療や福祉の分野の調理は、一般の調理とは少し違う。まず食べる人の基礎代謝に合わせて量をかげんする。それから健康を維持するため塩分は控え目になっている。

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忙しかった2年間

私も 2年間は中心になってがんばりました。忙しかったけれど、と ても充実していましたね」。しかし子供の小学校入学を前に、田島さんは再び自分の人生について考え始める。「子供が(幼稚園を)卒園する半年ほど前の秋ごろでしょうか、張りのある生活が終わ ると思うと、心にポッカリと穴があくような気がしました。そうしたら急に、自分の将来がとても不安なものに思えてきた。自分は何をしたいのか、何をすべきなのか、真剣に考え始めたのはそのころです。大学で勉強したかった若いころの気持ちゃ、それまでに考えてきたことなどを思い出して、自分を見つめなおしたんですね」。 そして一念発起、受験勉強を始めたのである。加歳のときだった。 「実は結婚前のお歳のとき、肝臓を悪くして 3か月ほど入院したことがあるんです。退院後も半年ほどは自宅療養しました。そのときには高タンパクの食事が必要だったんですが、たとえば牛乳3本に汁椀 1杯ということも栄養さえ摂れれば汁ものばかりでもい いという病院の食事には疑問を感じていました。そんな思いも残っていたんですね」。田島さんは口にしなかったが、母となって子供を持ったことも、「食と命」というテーマに向きあうきっかけになったにちがいない。若いころの夢と後悔、自分自身の経験、た  またま選んだ短大の専攻、妻として、母としての経験:::それらすべてが伏線となって、田島さんを大学受験に導いたのだろう。後になって話を聞けば、それはとても自然なことのように思える。

出典:介護職員初任者研修 最安


栄養の話

後は自動車のショールーム に断続的に勤務する。 35般で大学 に入学し、卒集後は老人福祉セ ンヲーを経て 99年 8月より現E置。 田島さんが栄養士の勉強を始めたのはお歳のころだ。管理栄養士になった理由は大きく分けると 2つある。ひとつはもちろん食と健康の関わりに興味があったことだが、もうひとつは自分自身の夢を探し続けた結果、自然にたどりついたことである。 「本当は大学に行って、日本文学を勉強したかったんです。でも通える範囲内には適当なところがなく、なんとなく近くの短大に進んでしまった。家政科で食物を専攻したのですが、そのときは漠然と興味があっただけで、特に資格を取ろうとか仕事に生かそうなどとは考えていませんでした」。 卒業後は自動車販売店に就職した。結婚して 5年ほど専業主婦を務め、子供が 2歳にな ったころから再び 1年ほどショールームレディの仕事に戻る。 「結婚したとき、山の手に住んだんです。そのときにまわりの奥さんたちが大学で学んだことなどを話しているのを聞いて『私だって大学で勉強したかったのに、なぜそうしなかったんだろう』って、あきらめてしまった夢を思い出して少し悔しくなりました」。 だがこのときは自分の夢を探りあてる間もなく、しだいに地域の幼児教室活動が忙しくなっていく。田島さんは再び専業主婦に戻り、ボランティア活動に没頭していった。「幼児教室といっても泥んこ遊びをさせたりするような活動で、地域の親たちが手づくりしていたものです。

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厳しいメッセージ

穏やかな口調ながら、施設の仕事を甘く見るなよ、人間的にも成熟してないと難しいん だぞ、という厳しいメッセージが伝わってくる。最後に、工藤さんはこの仕事の魅力をこんなふうに語ってくれた。「ここに来ていちばん良かったことは、明日の命はわからない、今日一日を大切に生き る、その大切さを教わったことですね」。  同害栄養士の仕事とは? いくら医学が発達したとはいえ、人間の生命と健康の基礎が食にあることに変わりはな い。食は文化でもあり、人間の最も基本的かつ最大の楽しみでもある。しかし飽食時代の現在では、塩分・糖分・アルコール・脂肪分などが原因で、脳障害や麻療など、後遺症を残すほどの大病にかかる人が増えている。 管理栄養士の主な仕事は、病院や福祉施設、学校などで、対象者の病状や年齢、運動量などを考慮しながら、医師、看護婦、介護者らと連絡を取りあって献立を作ることだ。「生活習慣病」といわれるもののほとんどは食事と運動で改善できるというのだから、管理栄養士に期待されるものは非常に大きい。 また調理師や栄養士を管理する立場でもあり、材料の在庫管理や仕入れも担当する。 最近ではコンビニなどに弁当メニューを提案したり、フードコーディネーターとして活躍したり、スポーツクラブで選手らの食事指導をしたり、調理器具の企画開発に参加するなど、それぞれが多様な仕事場を開拓しているようである。  1955年長崎県生れ。短大では栄養学を専攻。

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目をつむるのは

たとえば食事。糖尿病などで食事制限のある人には、医務として注意を出さなければい けない。そうでなければ看護婦がいる意味がない。だが時には本人と話し合ったうえで、 目をつぶったふりをすることもあるという。  入所者の中には寝たきりの人もいる。急激に体調を崩して入院する人も後を絶たない。しかし工藤さんは「急性期の処置が終わったら、なるべく早く帰してほしい」と思ってい じよ〈そう る。退院してくると、静癒(床ずれ)ができていたりするからだ。「施設ではきめ細かく人を見ることができます。蒔癒が治ったときの喜びなどは、この 仕事ならではのものでしょう。みなさん、家族のようなものですから」。今までは介護と看護が混同されていた部分が少なくなかったが、今後は互いに専門性を高めながら、協力体制を広げていくものと考えられている。 「施設を希望する看護婦志望者には、いろいろな科目を経験してきでほしい。入所者は内科、眼科、歯科、精神科、外科などあらゆる分野の病気を抱えています。総合病院などで幅広く勉強して、人生もたくさん味わって、それから施設に来たほうがいいと私は思います。施設の看護職というと安易に考える人がいるようですが、それは大きな間違い。簡単には考えてほしくないですね。それから自分で心身の健康をコントロールできること、家庭円満を維持することは大切な能力のひとつです。自分に余裕がなくなったら必ずお年寄りのケアに穴があきます」

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